2023 佐賀 インターナショナル バルーン フェスタと同時に開催される、もう一つの佐賀の一大イベントといえば『唐津くんち』ではないでしょうか。
今回は2023 佐賀 インターナショナル バルーン フェスタ2日目の競技フライトを見た後、唐津くんちの宵宮を検めに行ったお話です。
2023 佐賀 インターナショナル バルーン フェスタへ行ってきたお話はこちら↓
- 唐津くんち
- 曳山
- 11月2日『宵曳山(ヨイヤマ)』
- 唐津くんち専用駐車場: 松浦河畔公園駐車場
- 曳山
- 1番曳山 赤獅子 刀町 文政2年(1819年)
- 2番曳山 青獅子 中町 文政7年(1824年)
- 3番曳山 亀と浦島太郎 材木町 天保12年(1841年)
- 4番曳山 源義経の兜 呉服町 天保15年(1844年)
- 5番曳山 鯛 魚屋町 弘化2年(1845年)
- 6番曳山 鳳凰丸 大石町 弘化3年(1846年)
- 7番曳山 飛龍 新町 弘化3年(1846年)
- 8番曳山 金獅子 本町 弘化4年(1847年)
- 9番曳山 武田信玄の兜 木綿町 元治元年(1864年)
- 10番曳山 上杉謙信の兜 平野町 明治2年(1869年)
- 11番曳山 酒呑童子と源頼光の兜 米屋町 明治2年(1869年)
- 12番曳山 珠取獅子 京町 明治8年(1875年)
- 13番曳山 鯱 水主町 明治9年(1876年)
- 14番曳山 七宝丸 江川町 明治9年(1876年)
- 宵曳山は最高に盛り上がるおくんち1日目!
唐津くんち
唐津くんちとは、唐津神社の秋季例大祭のこと。
収穫感謝の意があるそうです。

唐津くんちの神輿渡御は江戸時代の寛文年間である1661~1673年頃に始まったと伝えられており、現在14台が現存。
2016年にユネスコ無形文化遺産保護条約『人類の無形文化遺産の代表的な一覧表』に『山・鉾・屋台行事』として登録されています。
ちなみに、『くんち』は『供日(くにち)』が九州のことばで訛ったものなのだそう。
九州北部で秋に行われる奉納祭をさすことばで、『おくんち』とも呼ばれることもあり、特に唐津・博多・長崎のくんちが有名です。
唐津神社
唐津市南城内3-13
唐津神社への参道には出店がひしめき合って並んでいます。
人も多く、とても賑わっていました。

曳山

唐津くんちに使われる曳山はなんと1台当たり2トンから4トンもあり、1台あたり曳き子200~400人で曳いているんだそう。
曳山は木を組んだ上に粘土で型を造り、その上に1~3㎝の厚さになるまで和紙を張り重ねたら粘土の原型を抜き、竜骨を組み、麻布と漆で塗り固めて下地を造ります。
更に粉屎漆(こくそうるし)でかたちを整え、金銀をはじめとした装飾を施して仕上げます。
町によっては製作に3~6年もの年月を要して造られたもので、世界最大級の乾漆造(かんしつづくり)美術工芸品なのだそうです。
11月2日『宵曳山(ヨイヤマ)』
唐津くんちの宵曳山は提灯ヤマとも呼ばれ、灯りに照らされた14台の曳山が町中を練り歩きます。

この日の宵曳山は唐津市大手口を19:30出発予定だったので、早めに唐津に向かいました。
現地に到着したのは18:00ごろ。
車は専用駐車場となっていた松浦河畔公園駐車場を利用しました。
唐津くんち専用駐車場: 松浦河畔公園駐車場
唐津市内にも有料駐車場がありますが、この日の夕方に駐車スポットを確保するのは難しそうだと判断し最初からトライしませんでした。
松浦河畔公園駐車場前から唐津駅(南口)までは往復500円でシャトルバスが運行されており、駐車場から唐津駅まではスムーズに移動することができました。
<唐津くんち 専用駐車場利用可能時間>
11月2日(木) | 17:00~22:00 |
11月3日(金・祝) | 09:00~17:00 |
11月4日(土) | 09:00~17:00 |
曳山
どこで曳山を待つのが一番いいのか分からず、地図を参考に京町アーケードの入口にてスタンバイ。
すべての曳山が間近で見られたのですごくいいスポットでした!
1番曳山 赤獅子 刀町 文政2年(1819年)
一番手は赤獅子です。
後姿が毛だらけだったのでびっくりしましたw


所定のスポットに到着すると、大きな掛け声とともに猛スピードで走り去っていきました。
ものすごい迫力にびっくりです。
京都祇園祭りの山鉾にヒントを得たデザインなのだそうです。
2番曳山 青獅子 中町 文政7年(1824年)
青獅子もおなじく後姿は毛だらけ。
赤獅子と比べると、青獅子は歯や牙をむき出しにしており荒々しい印象です。

めっちゃいい笑顔でポーズを決めてくれたお兄さん、ありがとうございます!
3番曳山 亀と浦島太郎 材木町 天保12年(1841年)
亀が思った以上に強そうな…!独特の色合いです。

間違って浦島太郎の顔も塗ってしまった…それくらいリアルな人形という事でしょうか。。
浦島太郎は巡行中に雨が降った際は蓑や笠を着用することもあるそうです。
雨は嫌ですが、ちょっと見てみたいかも。
4番曳山 源義経の兜 呉服町 天保15年(1844年)
兜形として最初に作られたもので、祭礼においてお神輿を警護する武者を意味したものと考えられておるそうです。

5番曳山 鯛 魚屋町 弘化2年(1845年)
魚屋の町であり、魚の代表として『鯛』選ばれたとも、神様へのお供えとして選ばれたともいわれているそう。

鯛のかぶり物をかぶって唐津くんちに参加している人も多数おり、人気のある曳山のようでした。
6番曳山 鳳凰丸 大石町 弘化3年(1846年)
曳山の中でも大型の2台の船形の曳山のひとつで、豪華なつくりは制作当時の町の隆盛が窺えるものだそう。
なんでも、江戸時代以来の商業の中心地となっていた地域で戸数も一番多いのだそうです。

正面に見とれていたのでお尻の部分しか撮れませんでした。
7番曳山 飛龍 新町 弘化3年(1846年)
大きな翼を持つ2本足の龍で、京都南禅寺の障壁画をもとにデザインされたものといわれているそう。

アーケード前を走り去る際、飛竜の尾びれが空に向かって持ち上がる姿が圧巻でした!!
8番曳山 金獅子 本町 弘化4年(1847年)
幅3.2m、奥行き2.6mと獅子頭のかたちを模す曳山の中では全国でも最大のものなのだとか。

金色に輝く獅子の頭、暗闇に浮かび上がる姿はなかなかに迫力がありました。
9番曳山 武田信玄の兜 木綿町 元治元年(1864年)
武田信玄の兜に装飾された金色の鹿角が特徴的。
題材は武者絵もしくは軍記物からきたものと考えられているそう。

上に乗っている人が落ちないか心配になるくらい激しく兜を揺らすパフォーマンスがありました。
ハラハラドキドキしっぱなしでした…!

10番曳山 上杉謙信の兜 平野町 明治2年(1869年)
9番曳山の『武田信玄の兜』に対抗して制作されたとされている『上杉謙信の兜』。
この獅子には角があることから、雄獅子をテーマにしたものといわれています。


11番曳山 酒呑童子と源頼光の兜 米屋町 明治2年(1869年)
米屋町の子供たちによるお囃子がとっても元気で、聞いているこっちが楽しくなってしまうほどでした。

源頼光に討伐されてしまった鬼たちの頭領・酒呑童子が頼光の兜に噛みついているデザインになっています。
12番曳山 珠取獅子 京町 明治8年(1875年)
(写真では見切れてしまいましたが、、)
獅子が朱珠に4本足の爪をしっかりくい込ませて乗っている曳山です。

このデザインのモデルは、町内の長門屋に伝えられていた唐津焼の『珠取獅子』なんだそうです。
13番曳山 鯱 水主町 明治9年(1876年)
鯱(しゃち)は火事になった際に口から水を吐いて建物を守るという言い伝えがあり、安土桃山時代より屋根の両端に取り付ける習わしがあります。

鯱の曳山は、当時まちの風紀の乱れをただすために曳山を造り奉納したと伝えられているそうです。
14番曳山 七宝丸 江川町 明治9年(1876年)
最後の七宝丸はトリを飾るのにふさわしく、とってもカラフルな曳山。
2台ある船型の曳山のひとつで、かつては『蛇宝丸』と呼ばれていたそう。

よく見ると7つの宝を持っているそうですが、動体視力がよくないため巻物しか見えませんでしたw
宵曳山は最高に盛り上がるおくんち1日目!
初めて訪れた唐津くんち。
14台の曳山が夜の唐津の町中を巡行する様子は圧巻でした。
元気でにぎやかに鳴り響く笛太鼓のお囃子の中、おくんちの熱狂にのまれたひとときでした。
遠い道のりでしたが、来られて本当に良かったです。

最後、唐津から帰る前に唐津くんち仕様のご当地ナンバープレートを発見して大興奮でした。
素敵過ぎる…!
それでは、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
素敵な一日をお過ごしください。
参照:
唐津神社公式ホームページ (karatsu-jinja.org)
秋の大祭(唐津くんち) | 唐津神社公式ホームページ (karatsu-jinja.org)